|
|
|
1
| 2
|
3 | 4
|

|
|
|
理想の土地を手に入れた愛二郎と幸吉。しかし早くも大きな問題がありました。それが『化学肥料』と『農薬』。確かに化学肥料や農薬は即効性があり、収穫量の増大には欠かせません。しかし、この化学肥料を使用した作物でも確実に病害虫の発生を受け、さらに周辺の地下水までも汚染してしまいます。そして何よりもアレルギー疾患をはじめ、人体に多大な影響を与えるのです。『健康のためのお茶が安心して飲めないなんて』『化学肥料や農薬を使わずお茶づくりを出来ないだろうか。』思い悩む2人、そしてようやく一つの答えにたどりつきます。それが『有機農法』でした。現在ではよく耳にする、『有機農法』。しかし当時は日本の高度成長期、真っ只中で、『収穫量のみを競い合っていた時代』。その中で有機に対する風当たりは想像を絶するものでした。『農薬や化学肥料による増産体制』という嵐の中に、2人は、真正面から闘いを挑んでいったのです。 |
|

|
| ――“一言で有機農法といいましても、大変難しいものなんです。そこで一番重要なのはやはり堆肥でしょうね。当社ではこのように完熟した堆肥を使っています。” |
 |
|

|
 |
『完熟堆肥』は有機質肥料を1年以上寝かせ、完全に発酵させた『堆肥』です。『完熟堆肥』を使うと、土が柔らかくなり、酸素を取り入れ、土中の微生物の活動を活発にさせてくれます。こうして自然の生態系を維持した土にすることによって、『無農薬』で健全な作物を育成させることに成功したのです。
|
|

|
『完熟堆肥』を使い、『有機農法』を始めた愛次郎と幸吉。
しかし更なる試練が2人を襲います。それは『茶樹が有機に切り替えた反動による禁断症状』。突然の生産方法の変化、過肥料状態から無肥料状態の転換にお茶の樹が異常な反応を示したのです。中には枯れ、病気にかかってしまう、お茶の樹も。さらに有機農法を行っていた2人は、お茶生産の仲間からも疎まれ、組合活動にも参加できずに、お茶づくりに必要な情報源も閉ざされていました。そんな2人の心の支えになったもの、それは、すくすくと育っていくお茶の樹たちだけでした。 |
 |
|

|
 |
5月新茶の収穫の時期。
愛二郎と幸吉の茶園にも若々しい新芽が育っていました。丹精込めて育てたお茶が刈り取られるのを見守る2人。
確かに『有機農法』のため、通常の茶畑に比べ、収穫量は少ないものでした。
しかし自然に近い環境で育てられ、出来上がったお茶は、生きいきとして生命力に溢れかえっていました。 |
|

|
| 永田茶園では第一工場、第二工場で製茶を行っています。第一工場では荒茶の精製を行います。粗雑な原料の形や長さを揃え、茎や粉を取り除きます。第二工場では第一工場で仕上がったお茶の異物を検査し、その後お茶の包装作業を行っています。また、味作りは最重要課題です。永田茶園では、創業当時から、この味づくりを社長以下一丸で検討します。各産地の特徴などを十分に生かした味つくりをしています。 |
|
|
 |